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FF7Rをやり込んでみてものづくりの視点から考察してみた

日記
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本記事では、スクウェアエニックスが誇る「ファイナルファンタジー7リメイク(FF7R)」をやり込んでの感想をアウトプットします。

スクウェアエニックスという大企業が5年以上の開発期間と莫大な開発費を投じて、挑んだ超名作のリメイク作品とのことで、

ただゲームをプレイして遊んで

ただトロフィーコンプリートまでやり込んで

ただ感想をアウトプットする

だけではもったいないので、工学分野の研究者らしく、
「ものづくり」の視点から見た考察的なこと(1人ブレインストーミング)をしていきます。

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超大作のリメイク作品

「生まれる前から伝説」というキャッチコピーからわかる通り、ファンやそうでない方もたくさんの人からの期待度が高い作品だと思います。
制作側からしてみたら、中途半端な作品にできないプレッシャーでしょう。

そして、ただオリジナルをなぞってだけだとリマスターになってしまう。
リメイクというからには、新たな価値の追加が必要でしょう。
それは戦闘システムを刷新したり、ストーリーを深掘りしたり、表現できなかったことを表現したりと様々な手法が考えられます。

では「FF7R」実際どうだったのでしょうか。
プラチナトロフィー獲得までやり込んでみたので

  • 開発期間
  • 映像美
  • ストーリー
  • 戦闘システム

について「ものづくり」の視点から考察することで、自分が何かを作るときに参考になることを考えて行こうと思います。

ちゃんと100%やり込みました

開発期間

5年以上

FF7Rが発表されてから発売に至るまで約5年以上かかっているそうです。
FF15が発表から10年以上かかったことに比べると短いように感じますね。
ちなみに、ポケモンの場合、開発期間は3年程度とのことで、それに比べると長いのかなと思いますが、グラフィックのレベルなどが違うので一概には比較できないところです。

ただし、オリジナルのFF7の全体のストーリーの1/6までしか収録されておらず、
定価も9000円程度とのことで、かけた開発費と時間の割には物足りなさを感じてしましますね。

開発期間は長い?妥当?

長いと思うこと

  • かなり待ったのに、分作(全体ストーリーの1/6しか遊べない)
  • 開発技術が古くなり、他者に対する優位性が弱まる

FF7Rは1本で完結する物語ではなく、分作というスタンス上、完結までにかかる時間を考慮すると、1本で5年というのは長く感じてしまいます。
第2部も5年後とかだとすると、完結する頃には私は一体何歳になっているのでしょう…
そしてその時までゲームに情熱を持つことはできているのか不安ですね。
そもそもスクウェアエニックスはそこまで存在しているのか、プロジェクトは継続できるのかは、近年の不安定な世の中を見ていると心配になります。

何より、分作リメイク作品で時間をかけすぎるのはプレイヤーが待ちきれず、飽きて離れることにも繋がると考えてしまいます。

開発期間が長くなると生じる、大きなデメリットだなと考えることが「技術の進歩に遅れる」です。

私が抱くスクウェアエニックスの特徴は「映像美」という印象です。
リアリティーのある3Dグラフィックの技術は他の企業と比べても頭一つ飛び抜けていると感じます。
しかし、技術の発展は日進月歩です。

時間がかかった分、開発はじめに使っていた技術はどんどん古くなってしまいます。
何より、製作途中で技術が新しくなると、「その技術で作り直す?」という選択肢が生まれたり、そうした場合製作がどんどん遅れたりします。

そして技術が遅れるということは、他の企業が入る隙にもなります。
ゲームなので、技術が全てではない(ストーリー、音楽、演出、プレーヤーが参加できる点でのオリジナリティもある)ので、多少の技術の遅れは良いのかもしれません。
ただし、映像技術を売りにしているスクウェアエニックスの場合、映像技術で他に負けると、有利な点が潰れてしまいかねないと考えます。

研究の世界でも論文を早く書いた方が良いと言われていますが、それは時間がかかればかかるほど、周りの研究が進み、論文にしようとしている研究が時間経過ごとに古くなっていきます。
そして、時間をかけた論文はすでに最新の研究ではないと言われ、受理してもらえなくなることも…

妥当だと思うこと

  • 美麗グラフィックだから仕方ない
  • 完成度の高い作品を堪能したい

次は開発期間が妥当だと思う点について考えます。

超美麗グラフィックの作品なだけに開発に時間がかかるのは仕方ないですね。
ましてや、ストーリー、演出、音楽、グラフィック、演技、モーション、戦闘システム
、ゲームバランスなど様々なことを統合していかなければいけません。
そう考えると、5年という開発期間は妥当なように思います。

また、期待されている作品だからこそ、期待を満たす程の完成度が必要と考えると、できうる限り、ギリギリまで時間を使いたいというのもあります。
ゲームの場合、生活必需品だけでなく、嗜好品なので、そこまで早く世に出す必要はないのかなと思います。

短い開発期間で作られた薄っぺらい作品に時間とお金をかけるなら、もっと待ってでも完成度の高い作品を堪能したいという気持ちを持つ人の方が多いのではないでしょうか?

とはいっても、結局のところ、5年以上かけて全体の1/6というのはそれどころの話ではないと考えていますが…

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映像美

良いところ

  • 没入感がすごい
  • 技術の進歩を感じる

映像美は私的にスクウェアエニックスの強みだと思っています。

よく「グラフィックはゲームのできに関係しない」とか「映像だけのゲーム」なんて言われたりすることもあります。

そもそもゲームにおける美麗グラフィックの役割はなんでしょうか?

私は、映像美が与える感動の他に「没入感を与える」ことだと考えています。
現実に近いような美麗グラフィックは、まるでガラスを挟んだリアルな世界を覗き込んでいる感じがします。
また、キャラクターの表情や動きで感情や感覚を共感しやすくなると感じます。

例えば、スーパーファミコンのマリオが傷を負っても、それが表現できないと、ダメージを負ったという認識だけです。
しかし、美麗グラフィックではダメージに合わせた傷の様子や表情、仕草を表現することができ、これによってダメージを負った認識+キャラクターの辛さを共感しやすくなります。
これが没入感を演出している一つだと考えます。

そして、ファンタジーならではの「魔法」などの非現実な表現を強調する役割を持っていると思います。
現実をより現実らしく認識させるほど、それとかけ離れた「魔法」などの表現の非現実さが目立ちますよね。
この現実の中に表現される非現実の違和感というのも没入感を引き出す要因だと考えます。

また、グラフィックについては、年々進化しているので、映像技術の進歩を実感することができます。
「こんな表現ができるなら、もっとこんな表現ができるかも!?」みたいな色々な考えが出てくるので、ものづくりに携わっている人ならワクワクするところですね。

欠点になってしまうこと

  • リアリティーがありすぎて、物語の展開に違和感を感じる
  • 想像で補完する余地が少なくなったので、物語の世界に入り込むのが難しくなった

映像美の欠点として、リアリティーが表現されすぎることで、これまでの物語では気にならなかったところが気になってしまうところが出てきます。

例えば、味方と敵が対峙して、銃を向けられてしまう絶望的な展開があります。
普通であればこの後の展開どうなる?とドキドキするシーンです。
ところがここで抱いた感情は、
「君(味方)の腕に装着している大型銃の方が強くない?というか、君たちさっきから戦闘のたびに銃弾浴びまくって平気な顔して動いてたじゃん…」
というあられもない感情。
イベントシーンと戦闘シーンの乖離に違和感を抱いてしまう始末です。

本物らしいキャラクターが本物らしからぬ行動(戦闘で銃弾シャワー浴びる)を続け、それに慣れてしまうと、本物らしい行動(銃を突きつけられて怯む)に違和感を抱くようになってしまうということですね。

グラフィックがこんなに綺麗でないゲームだとあまり感じなかった感情です。

映像が綺麗になったことで表現できることが多くなりました。
一方で、表現できてしまうからこそ、プレイヤーが想像で入り込む余地が少なくなったのではないかと考えます。

例えば、小説を読むとき、世界の風景・人物・声・動きなどは書かれている文字によって想像して頭の中で世界を再現します。
この要素がその世界にどっぷりハマることなのではないかと考えています。

一昔前のゲームも、映像による細部の情報は欠損していたので、自分の脳で補完することでのめり込んでいたように感じます。

人間は足りない情報を補完して納得する習性があるようなことも言われています。
なので、ゲームが映像で含む情報が大きくなるとプレイヤーは自発的に考えて補完せず、能動的に受け取るだけになってしまうのでしょうか。
情報量が多くなると自分で膨らます余地がなくなるから、逆に物足りなくなってしまうのでしょうか?

もし映像がよくなっただけで最近のゲームは面白くないと感じる人が、この理由だとした場合、自分で能動的に情報を補って想像・考察することで頭を使っていかないとこれまでと同じようにゲームを楽しむことができないのではないか?と考えられます。

映像が綺麗になったからこそ没入感が強くなるとも述べましたが、世界に没入しても世界との一体感はない、あくまで傍観者であるかのような微妙な境界と表現すべきでしょうか。

メインキャラクターと他のキャラクター・背景の違和感

FF7Rを実際プレイしてみて、メインキャラ・武器などのアイテム・映像はものすごい力の入った表現になっています。

一方で、サブキャラクターや背景は一世代前のゲーム機(PS3)でやっているような表現のところがあり、メインキャラクターが浮いて見えてしまい、ものすごく違和感を感じました。
容量と開発期間の都合上、仕方ない部分かもしれませんし、私が気にしすぎな部分もあると思います。

これを解決する方法はどのようなものがあるか考えてみましょう。

一つ目は、キャラクターの行動範囲を狭めることでしょうか。
映る部分を制限することで、必要最低限の背景の描画をし、容量を減らすというもの。
おそらくこれをすると、いわゆる一本道ゲームと言われてしまい、FF13の酷評の再来が起こる気がします。

二つ目はより少ない容量で速く描画できる開発技術やハードや記憶媒体の発展が必要でしょうか。

あとは、スクウェアエニックスのゲームをプレイしていて感じる、「本筋と関係ない部分のこだわり」をいかに削るかということでしょうか?
メインとなる部分をしっかりと注力して完成度を高め、残ったリソースでサブの部分を充実させることができるか?が何事も大事なのではないかと考えさせられます。

研究の世界も、論文を書くときには補助的なデータばかり集めるよりも、メインのデータを速く充実させる方が、内容的にもシンプルで明確でインパクトのあるものになると思います。

とはいえ、メインの部分の完成度を極限まで高め、残りは平均的に作ることで、メインを強調して目立たせるという戦略もあると考えられます。
どちらの方がプレイヤーの満足感を刺激できるか考えてみると、ものづくりにおいて、消費者を満足させることができる要素は何か?を見つけることができそうですね。

ちなみに私は、サブを削ってメインの完成度を高めて欲しいと感じました。
FF7のようなゴールが一つに定まっているRPGにおいては、ストーリーの自由度は低くても良いので、ストーリーで伝えたいことを余すことなく伝わるような表現が重要なのではないかと考えます。

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前半のまとめ

以上、スクウェアエニックスが誇る「ファイナルファンタジー7リメイク(FF7R)」をやり込んでの感想のアウトプットでした。

前半では、

  • 開発期間
  • 映像美

について、感じたこと、考えたことをつらつらとアウトプットしました。

開発期間では、プレイヤーの期待感を制御したり、技術の進歩と開発期間のバランスの大事さを考えさせられました。
映像美では、グラフィックに力を入れるメリット、表現し過ぎてしまうが故のデメリットについて考えさせられました。

後半では

  • ストーリー
  • 戦闘システム

について考えたことをアウトプットしていきます。

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