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FF7Rをやり込んでみてものづくりの視点から考察してみた(後編)

日記
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本記事ではスクウェアエニックスが誇る「ファイナルファンタジー7リメイク(FF7R)」をやり込んでの感想(後編)をアウトプットします。

プラチナトロフィー獲得までやり込んでみて、ゲームとしての素晴らしさはもちろんの事、「ものづくり」の視点から非常に考えさせられる作品だったと思います。

前編では

  • 開発期間
  • 映像美

についてアウトプットしました。

後編では

  • ストーリー
  • 戦闘システム

について語っていきましょう。

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ストーリー

ストーリー改変はあり?なし?

あり派

  • 既プレイの人に驚きを与える
  • 表現の幅が増えたからこその新たな視点

オリジナルのFF7をプレイした事ある人にとっては驚きの要素になると思います。
一方で、下手に改変すると評価の根底を覆すほどの批判の的になる部分になるような繊細な部分であるとも思います。

また、グラフィックの進化で表現できる部分が増えたからこそ、それに合わせたストーリーの修正をする事で作品として洗練できるのではないかと思います。

恥ずかしながら、私はFF7Rが初めてのファイナルファンタジー7だったのでどの部分が変わっていたのかは詳しくはわかりません。
噂では細かいところが結構違っているそうですね。

ストーリー本編でも、「物語の進行が変わるかもよ」という感じの描写があるので、ストーリー改変があるのかもしれないということをプレイヤーに直接示しています。
こうすることで、オリジナル版既プレイの人にもワクワク感を与えることができますね。

なし派

  • 原作の良さを維持
  • 作品である以上、作りあげた世界観を大事にしてほしい

もうFF7はかなり古い作品でストーリー展開も有名なので隠す必要は無いと思いますが、
ストーリーの改変があるとすれば、途中で脱退した仲間が脱退しなくなるというものが考察されていたりしますし、私自身もその可能性は高いのではないかと感じます。

衝撃的かつ悲しみが深い脱退とのことで、その箇所の改変はファンからの熱い要望は昔からあるように感じます。
ただし、改変をしようがしまいが、全員を納得させることはできないでしょう。
ゲームである一方で、物語でもあるので、全てのプレイヤーを納得させる必要は無いと思います。
超名作と言われるような小説でも、合う合わないあるので当たり前ですね。

ストーリーの不満意見で物語を変えるというのは作品を作る人としてやってはいけないのかなと考えています。
もしそれをしてしまったら物語を作る人は必要なくなってしまいます。
なんのために物語を作る仕事をしているのでしょうか?
その人しか考えられない、作ることができない世界観を提供して、プレイヤーにその世界を見せることがその人の仕事だと思います。

キャラクターの掘り下げができている

  • 映像技術の進歩によるキャラクターのもつ情報量の豊富さ

前編でも語りましたが、今の映像技術だからこそ表現できていることが多くあると思います。
具体的にはキャラクターの仕草、表情、声で伝える情報が増えています。
これまでは各個人の想像に任せていた部分を、より多くの人たちと同じ解像度で共有することができるようになっていると思います。

仕草、表情、声で表現されることで、そのキャラクターのもつ情報量がオリジナル版に比べて圧倒的に多くなるので、より深くキャラクターのことを知ることができるようになったのではないでしょうか。
オリジナル版をやった人は、キャラクターの評価が変わったりしているのかもしれません。

中途半端な引き伸ばし、水増しが感じられる部分

  • 目的の曖昧なイベントは蛇足

ここについては多少なりとも批判の意見が見受けられますし、私も感じることはありました。
サブクエストや追加ストーリーがありますが、ここを厚くするならもう少し先までストーリーを先に進めることができたのではないかとも思います。
ただ、分作にするのであれば区切りの問題もあるので、そう考えると妥当なところまで進めて、その中で厚みを持たせたのかもしれません。

サブクエストの目的(というか役割)は

  • その世界のメインで語られなかったことをサブクエストの報酬として語る
  • その世界の町やそこに住む人たちをより深く掘り下げる

ことだと思います。
ただ、FF7Rではただのお使い要素が多く、サブクエストをやったからこそ得られる追加情報が少ないため、水増しと言われてしまうのは仕方ないと思います。

ボリュームを増やすために、中身の薄いものを付け足しても蛇足になってしまうという感じでしょうか。
「引き算の美学」という言葉がありますが、まさにそれを考えさせられる作品だなと思いました。

戦闘システム

良いところ

  • 戦略を考えてハマった時の爽快感

基本的にFF13(ATB:アクティブタイムバトルシステム)とFF15(アクション)を合体させたような戦闘スタイルです。
いかに相手の弱点をついてダウンを奪うのかというFF13の個人的には素晴らしいと思う戦闘システムを取り入れているので、戦略を考える楽しみがあります。

何より綺麗に勝つことができた時の満足度がとても大きいです。
アクション要素でキャラクターを意のままに操作できるのが良いですね。

もう少しなところ

アクションがおまけすぎる

  • 回避の要素が機能していない
  • アクションの期待度からの不自由さの葛藤

せっかくのアクション要素でキャラクターを自由に動かせる要素を取り入れているのに、戦闘ではこのアクションがほとんど生かされていないと感じました。

まず一番気になったところが「回避が意味をなしていない」です。
FF7Rの敵の攻撃を防ぐ手段として「ガード」と「回避」があります。
そして敵の攻撃には「ガード可能攻撃」「ガード不可攻撃」の2種類があります。

この組み合わせだと、「ガードすべき攻撃」と「回避すべき攻撃」の読みや対応を求めるものなのかなと思うじゃないですか。

ところが、FF7Rのプレイヤー側のキャラクターには「回避の無敵時間」がありません。
敵にはあります。なぜかプレイヤー側のキャラのみありません。

つまり、敵の攻撃は「ガードすべき攻撃」と「回避すべき攻撃」の2種類あるのに、「回避すべき攻撃」に回避で対処することができません。(なんで?)

次に気になった点が、ジャンプができないことです。
空を飛んでいる敵に対しては攻撃コマンドで自動で空中に追尾して攻撃を当ててくれます。
ところがどっこい、壁に張り付いている敵に対しては、空中に自動追尾されないので、通常攻撃が全く当たりません。

おそらく、味方の切り替えを活用して戦闘を攻略することを促したいが故の調整だと思います。
ただ、「アクション」というわりに、動きでアプローチできない部分が多く、戦闘についてはかなりフラストレーションを感じる部分が多いです。

スーパーアーマーに頼った難易度調整

  • スーパーアーマーの扱いはいろんなゲームでも調整が難しい

スーパーアーマーとは、攻撃に対する仰け反りの発生を抑制するもので、ダメージは受けるが行動の中断はされないという半無敵みたいな要素です。

FF7Rは敵の調整について、スーパーアーマーに頼りすぎている部分が大きいと感じる部分が多くありました。
スーパーアーマーがついていない敵は、適当に攻撃をすれば相手に行動させることなく倒すことができます。
ところが、スーパーアーマーがついている敵は相手の行動を止めることができないので、攻撃のチャンスが減るため、苦戦をします。
アクションゲームの中でもかなり調整が難しいところです。
アクションが得意なゲームメーカーでもこの調整を失敗したが故に評価がだだ下がりになったゲームもあるそうです。

FF7Rはここの調整が極端で、一方的に攻撃できて簡単すぎる敵もいれば、全く攻撃できずにリンチされる敵もおり、やはりここもアクションの要素がいまいちだと感じてしまう部分になっていました。

じゃあどうしたら良くなるのだろうか

実際にプレイしてみて考えたこととしては、

  • スーパーアーマーの調整は攻撃回数でブレイクできるようにする。
  • 回避の無敵時間をつけたり、ジャストガードによるダメージカット率を上昇させる。
    (その代わり敵の通常攻撃、強攻撃力のダメージのメリハリをつけて、回避とジャストガードを促す動きを入れる)

という2点を入れると、アクション要素が生きてくるのではないかと考えます。
(まぁ月並みな考えではありますが。当たり前のことを当たり前にするのは大事だと思います。)

そもそもアクションよりもATBの要素を強くしたかったという可能性も考えられますが…
その場合、中途半端にアクションを入れるくらいならATBに特化したした方が戦闘を楽しむことができたかもしれません。

研究でもそうですが、複数の要素が組み合わさるとそのバランスを取ることがとにかく難しいですね。
中途半端に変数を増やすぐらいなら、変数を一つに絞った方がうまくいくこともしばしばです。

ちなみに、散々書きましたが、ボス戦などの少数の敵であればそこそこ楽しむことができるので、バランスが完全に崩壊している訳では無いことは補足です。

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スクウェアエニックスのものづくり

ものづくりにおけるコンセプトについて

「漠然とした制作意図から自分で設計を進められる人」

これは、FF14の評判が凄まじく悪かった時の求人の「求める人材」の項目に書かれていたことです。
これは企業のものづくりのスタンスとしては最悪だと考えています。
ゲームは作品であり、企業(製作者)が価値を提供するものです。
そもそもゲームのコンセプト(意図)が漠然としている時点で、どのような価値(体験)をプレイヤーに提供したいのか明確ではないとも言えるでしょう。

そのような作品を遊んだプレイヤーが感じることは何か?
おそらく二つ考えられると思います。

  • 制作側も意図していなかった未知の体験
  • 何をプレイさせられているか良くわからない

これまでの経験として、コンセプトが不安定な作品はゲームでも小説なんかでもほとんどは後者だと思います。

制作意図が一貫していない作品から得られるものは混沌だと考えています。

研究や製品作りでもここはとても大事なところだと思います。
研究でも論文でも製品でも、コンセプトが一貫していないと、

  • 何を伝えたいのか
  • 何ができるのか
  • どんな体験をさせたいのか

ということを相手に理解してもらうことが難しくなります。
逆にコンセプトがしっかりしているものは、多少質が低くても理解しやすいものが多いです。

ブログでもこの部分はかなり大事な部分だと思うので、コンセプトの一貫についてしっかり考えていかなければと自戒します。

召喚獣と同じ容量のおにぎり

これはFF15で話題になったネタですね。
料理で出てくる「おにぎり」のグラフィックの容量が、こだわりすぎた結果、大きくて複雑で神々しい形状をした「召喚獣」の容量と同じぐらいになったというものです。

細部に対する、製作者のこだわりというものですね。

これについては、賛否両論あるので、一度置いておきましょう。
(私もこれについて語るとあと数千文字必要になります。そもそもFF15はなぜ初期設定を全て変えてしま…)

注目すべきは、そのおにぎりの描画の作り方!
実物を立体スキャナーでスキャンして、得られた情報からより自然に本物らしく見えるか調整して作っているそうです。
容量がかなり重くなるそうで、どうやって軽くするのが課題だったそうです。
(結局召喚獣と同じぐらいの容量になってしまったそうですが。)

これはモーションキャプチャーに似た技術発展だと思います。
映像技術に力を入れている会社ならではのこだわりと技術だと思います。

まとめ

以上、スクウェアエニックスが誇る「ファイナルファンタジー7リメイク(FF7R)」をやり込んでの感想(後編)のアウトプットでした。

後編では

  • ストーリー
  • 戦闘システム

について思ったこと考えたことをつらつらアウトプットしました。

実際にプレイして感じて考えたことは、自分がものを作る側になった時にとても参考になるものだと思います。
ただなんとなく楽しいなと思ってプレイするだけだと、遊びで終わります。
しかし、ゲームも「ものづくりのプロ」が試行錯誤して心血を注いで作った作品であるので、解釈したり考察したりすることで得られるものはたくさんあると考えられます。

ゲームをプレイしてシステムや表現から製作者の意図を読み取って、それに対して自分が受け止めたこと、考えたことを糧にして、ものづくりに応用すると、いつもと違った視点を身につけることができると思います。

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